水俣病ってご存知ですか?
社会の授業に登場する、日本の4大公害病の1つですので、覚えておられる方もいるのではないでしょうか?
私はブルーライト問題を、この水俣病問題を例に出して話すことがあるのですが、今日はそんな水俣病について書いてみたいと思います。
私がこのブログを立ち上げたとき、大まかなストーリーは決めていて、その中でも水俣病の概要を、出来るだけ解り易くまとめ、現在の状況とブルーライト問題と比較したいと思っていました。
それでは最も解りやすい?水俣病問題とブルーライト問題、いってみましょう。
-目次-
- 水俣病ってどんな病気?
- 水俣病の被害の大きさは?
- 水俣病の発生時期はいつごろでしょうか?
- 水俣病の原因はなんでしょうか?
- 第2の水俣病は新潟で、世界でも水俣病はおきています
- 政府の公式確認から被害者の第2の戦いが始まります
- 国は認定制度を設けて基準以下の切り捨て策を講じます
- 企業の責任から国家の責任へ
- 水俣病特措法の成立とチッソ分社化による「救済策」
- 水俣病の現在の状況と課題は?
- 水俣病問題だけじゃない社会の発展とその犠牲者とは
水俣病ってどんな病気?
水俣病は、高度成長期へ突入した日本で、急成長を遂げるある会社の水俣工場が、産業活動によって生み出された有機水銀(メチル水銀)を含む有害物質を、不知火海に未処理のまま大量に排出したことで、海が汚染されて、食物連鎖を経て、その魚を食べた人体に取り込まれて起きた公害病です。
中枢性の神経疾患が主な症状ですので、脳や神経に作用するため、両手両足の感覚が鈍くなったり、見えない、聞こえない、しゃべれないといった症状が出てきます。
発生当初の症状が重い人は、痙攣、意識不明、亡くなられた方も沢山います。
後に急増してくる水俣病被害は限定された地域ではなく、そのとき出荷された魚を食べた人達、つまりは広い地域に拡散されたことになります。
これだけでも恐ろしい状況になった事は想像できると思います。
でも、水俣病の怖さはこれだけでは終わりませんでした。
水俣病の真の恐怖はなんだったのでしょうか?
それは、水俣病が胎盤を通して赤ちゃんへ汚染し、赤ちゃんが生まれながらにして水俣病の被害者になった事です。
食物連鎖:
水俣病の被害の大きさは?
現在、行政による認定を受けた患者数は熊本・鹿児島両県で2300名を2017年時点で超えており、認定されていない申請者がまだ2000人以上います。
様々な救済制度もあり分かりにくいところもありますが、医療救済を受けている水俣病患者数は既に50000 名を超えています。
但し、水俣病の真の被害については、複雑に絡み合った沢山の利害関係などによって、今なお見えていないと考えても良いでしょう。
水俣病の発生時期はいつごろでしょうか?
汚染はすでに戦前から始まっていて、漁業被害は何度も起きていました。
1956 年5 月1 日に新日窒付属病院細川院長が、「原因不明の奇病発生」を水俣保健所に届出した前後で、中枢神経系の水俣病患者多発、以降患者数が増えました。
水俣病の原因はなんでしょうか?
この有害物質であるメチル水銀を海へ流し続けたのはチッソという会社です。
事実上そのまま事業を引き継いでいるのがJNCという大企業ですね。
水俣病の発生当初は、何が原因か分かっておらず、伝染病が疑われました。
しかし、伝染病ではないことはすぐに分かり、会社の工場廃水が疑われ、1956 年の秋には「ある種の重金属が魚介類を通して人体に影響を及ぼしたもの」とする報告がなされています。
ところが発生当初より、国や熊本県による漁獲禁止、摂食禁止、排水禁止などの処理がとられることはなく、被害は更に拡大していきました。
それはなぜだと思いますか?
高度経済成長期にある産業の中枢企業であったチッソは、地域住民の雇用を確保し、そこから得られる税収は県や国にとっても重要であったからです。
1959 年末、チッソは熊本県知事らの斡旋により患者達との間に、チッソが原因と分かっても補償の請求はしないという条項を盛り込んだ悪名高い見舞金契約を結びます。
第2の水俣病は新潟で、世界でも水俣病はおきています
1965には新潟の阿賀野川流域で昭和電工が流した廃水により、第二の水俣病が発生しました。
海外に目を移すと1970年代に入って、カナダでの先住民(インディアン)居留区に水俣病問題が発生しています。
他にもブラジルをはじめとする各地の金鉱山や、中国などで水銀汚染事件が起きて被害者が出ています。
これらは全て、私達が発展していくための産業活動により生じました。
政府の公式確認から被害者の第2の戦いが始まります
1968年、公式確認から12年たってようやく政府は公式見解を発表し水俣病をチッソの廃水を原因とする公害病であると認めます。
でも、それから被害者達の第2の戦いが始まりました。
それは何だと思いますか?
それは「責任の追及」と「補償」です。
被害者達は政府の見解を得て、1969年にチッソを相手取って訴訟を起こし、4年後の1973年に水俣病訴訟判決が出され、賠償責任を勝ち取ります。
水俣を訪れた三木武夫環境庁長官を取材する記者たち。水俣=1973年(撮影:ユージン・スミス)©Aileen M.Smith
引用:「写真はときには物を言う」――水俣を世界に伝えた米写真家の軌跡 - Yahoo!ニュース
石原環境庁長官が初めて水俣病患者を見舞い、頭を下げた=1977年4月22日撮影
国は認定制度を設けて基準以下の切り捨て策を講じます
ところが、水俣病訴訟に勝ったあとも、水俣病患者は認定申請をする者が増えていきました。
しかし、国や県は認定基準を設けて、本当の患者を見極めようとしますが、未認定患者の直接交渉や訴訟は続きました。
この認定基準は今日に至るまで見直されることなく、ある意味、患者切り捨ての手段となっています。
企業の責任から国家の責任へ
1995年、被害者団体との間に和解が成立し、政府解決策が実施されました。
2004年10月、政府解決策に応ぜず、唯一裁判を継続していた関西地区に移住していた患者達が起こしていた訴訟に、水俣病関西訴訟の最高裁判決が下され、チッソとならんで国・熊本県の責任(汚染拡大防止措置をとらずに被害拡大を放置した)が水俣病事件史上初めて認められました。
1956年の水俣病の公式確認から48年の時を経て、ようやく国家の責任が認められました。
でも亡くなられた方ももう帰っては来ません。
障害を持って生まれてきた子供達は、それを背負い生きていかなくてはなりません。
水俣病特措法の成立とチッソ分社化による「救済策」
2009年、解散直前の国会で水俣病特措法が成立しました。
水俣病被害者「救済」施策と加害企業チッソの分社化を定めた法律で、チッソ救済法です。
日本の高度成長には欠かすことの出来なかった産業活動の過程でおきてしまった水俣病問題の、圧倒的な被害者の数と被害額に対して、国は加害企業を守るために、国民の税金を使う決断をします。
水俣病の現在の状況と課題は?
2018年、既に公式確認から62年も経過した水俣病問題。
胎児性水俣病世代の患者たちの、国、県、チッソを相手取った裁判は、今もまだ続いています。
水俣病をめぐる患者への補償と救済がまだ終わっていませんし、被害補償を受けるための認定基準が狭くてなかなか認められませんので、和解協議に乗らない裁判はまだまだ続きます。
水俣病に対する偏見の克服や地域経済社会の再生の問題も残したままです。
水俣病問題だけじゃない社会の発展とその犠牲者とは
ここで改めて考えてみたい、どうして水俣病問題がおきたのかを。
新しい技術が生まれ、社会が大きく発展するときに、それに伴って問題が発生しました。
でもその問題で社会の発展を止めることは出来ませんでした。
なぜでしょうか?
社会の発展には「豊かさ」を求める人間の欲求が根底にあります。
もっと便利に、もっと豊かに、それが複雑に絡み合った状態が水俣病問題の根っこです。
どうして悪いとわかっているのに、新しい技術の開発よりも目先の発展を優先させたのか、それは唯一「水銀」の被害以外には問題が無いからだったのではないでしょうか。
いや、新しい技術の開発はしていたはずです。
でも、それよりも市場に広まる速度が早かったから、被害が拡大した、そう考えたほうが現実的でしょうね。
ブルーライト問題がこれと同じような道を歩んでいるように私には見えます。
過剰な人工ブルーライトは人体的に良い影響を与えません。
とはいえ、ブルーライト問題により命が危険にさらされる事は無いでしょう。
大規模な視力の低下、最悪失明者の急増。
そして、サーカディアンリズム(体内時計)が狂うことで派生する健康障害やうつ病などの精神障害は十分に考えられます。
ただ、その規模が水俣病の比では無いという事は言えます。
なんと言っても日本の全ての家庭、風呂敷を広げれば、世界規模ですから(汗
そこまでは言い過ぎにしても、今は対策よりも市場に広まる速度が早くて、誰にも止めることが出来ないのです。
たばこであれば、パッケージに喫煙は肺がんの原因だと表記されていますが、たばこを買う人がいます。
スマホやパソコン、テレビなどは、映画を観るときは部屋を明るくして、とか、長時間のご使用は、などの注意を促しています。
昨今のLED照明に対しては、パナソニックや東芝などは、ホームページ上に、演色性の比較として、自然に近い光はこっちで、ブルーライトが多いのはこっちですよと、わざわざ波長まで公開してメーカー責任の範疇までは表記しています。
水俣病との大きな違いは、各メーカーがちゃんと自己保身的な啓蒙はしていて、「皆さん自己責任ですよ」と言っている(とも受け取れる)ことです。
今回はかなり重い内容でしたが、私がこのブログでお伝えしたいことは、1人1人が正しい知識を持って、今からでも対策をしていきましょうという事です。
私達大人の都合で子供達には「負の遺産」を残したくはありませんね。
水俣病でキーとなった「水銀」。
実はこれもブルーライト問題に関連しているという事をご存知でしょうか?
ブルーライトシンドロームはまだ続いています。